素直な気持ち
ご存知のとおり、台風が来ています。
これから運動会、という学校は練習場所の確保や予定変更などで大変だと思います。
私の学校もそうですから。(笑)
でも、教員はまだ予定変更の悪影響は少ないです。
子どものほうは調子狂いまくりです。
特に情緒障害を持っている子どもにとってはきつい日々が続いていると思います。
楽しみにしていることがなくなったときは大変です。
かんしゃくを起こすことも多いです。
「もう嫌!何もしない!!」と動かなくなる子もいれば、自傷や他傷をする子もいます。
私も何回叩かれたことか…。(苦笑)
予定変更などで混乱をしてかんしゃくを起こし、社会的に望ましくない行為をすることはよくないです。大人になって働くときに困ることが多くなります。
健常の子どもだったらスポーツで発散させたり友達同士で愚痴を言い合って発散させることもできますが、感情表現の苦手な子が多い学校ですから、悲しみ・怒りが望ましくない形で現れることが多いですし、それすらできずに苦しんでいる子もいます。
だから、望ましくない形でも自分の感情を発散させることも必要ちゃうかな?と思います。そして、その感情を受け止めることが教員の役目じゃないかな?と思うのです。
なぜこういうことを書くかというと、自分の学校の子どもたちが自分の感情を発散させることが認められていない場面が多いと感じているからです。
喜び・楽しみは受け入れられるけど、悲しみ・怒りはなかなか発散できずに溜まっていく一方のような気もします。
問題行動を押さえ込むことばかりが優先され、子どもの心が軽視されている、と感じる場面があります。
「やっていることがだめだと理解させる」という理由をつける先生もいますが、子どもの中には、だめだと分かっていてもそれしかできない子もいます。だめだと分かっていなくても、子どもの悲しみ・怒りを受け入れることからはじめても良いと思います。
今回書いていることは、学問や経験に基づかない屁理屈かもしれませんが、自分自身は子どもが成長するためには自己肯定観を持つことが第一やと思いますし、それがあることで活動に主体性が生まれる、主体性が生まれるから本当の意味で成長できる、と考えています。
そして、自己肯定観を育てるためには、子どもの心をしっかり受け止められるようになることが必要やと思います。そういう意味で、問題行動に真っ先に目が向く考え方に対して「ちょっと待てよ?」と疑問に思うのです。
今回書いたことは決して現場の先生の批判ではなく、自分の考えと現場に考え方のギャップがあるんじゃないか?という疑問を書いたものです。
自分の考え自体は何の根拠もないです。学問的な理屈もないし、経験による裏づけもないです。
ただ、上でも書いた自分の考える教育観、教師像を追求するためにはこの問題は考えなアカン問題だと思います。
子どもの素直な気持ち、社会が子どもに求めるもの、この2つは必ずしも一致しませんし、対立することも多いです。
その2つが対立したときに教師はどのように問題に関わることができるか、そのスタンスの問題が、今回ブログに書いたことのように思います。
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